「オールドルーキー」20歳を超えて騎手の道へ、香港のアンガス・チャン騎手が見せる“遅れを取り戻す活躍”
サッカー選手から競馬の騎手へ。競馬に出会うのが遅かったアンガス・チャン騎手だが、早くも2年目で師匠の名を冠する「最優秀地元騎手」の有力候補に。異色の経歴、師匠との絆を取材した。
“アンガス・チャン”こと、騎手のイクライ・チャン(鍾易禮)は、元々この職業を志していた少年ではなかった。香港のレジェンドの弟子となり、騎手としてハッピーバレーやシャティンを駆けることになるとは、夢にも思わなかっただろう。
しかし、香港競馬デビューから僅か2年、彼は師匠の名を冠する『トニー・クルーズ賞』に手が届きそうな位置にいる。これは、シーズンを通して最も好成績を収めた地元出身の騎手に贈られる賞だ。
今シーズンの勝利数ではヴィンセント・ホー騎手、マシュー・チャドウィック騎手、デレク・リョン騎手ら名だたる地元出身の騎手を抑えて、彼が首位に立っている。2位のホーとは8勝差である。
シーズン終了まで残り6回の開催ある今、彼が受賞できると断言するのは難しい状況にある。しかし、これまで46勝を積み重ね、全体の騎手リーディングでも5位に入る好成績を挙げたことは、間違いなく賞賛に値する。

オセアニア、ヨーロッパ、アメリカなど、コミュニティとして競馬産業が確立している地域では、親戚に競馬関係者がいる騎手は珍しくない。ライアン・ムーア騎手、オイシン・マーフィー騎手、トミー・ベリー騎手、これらは競馬一家に生まれたり、幼少期から馬に親しんでいる騎手の一例だ。
しかし、香港は事情が違う。人口密度が高く、土地が狭い都市だ。競馬の人気は高いものの、大多数の子供たちは馬に接する機会がなく成長する。そのため、騎手になるという選択肢に『縁がない』若者が多いのだ。
サッカー少年が競馬の世界へ
日本では高専や専門学校に相当する高級文憑(Higher Diploma)を修了したチャンは、一般企業への就活には乗り気ではなかった。彼はサッカー選手を目指していたのだ。
実際、香港2部の油尖旺足球隊にサッカー選手として所属していた経歴を持っている。しかし、サッカーの世界では出世できる見込みがないと悟った彼は、別の選択肢を探し始めた。そこで白羽の矢が立ったのが、香港ジョッキークラブの騎手育成プログラムだった。
「父が暇なときに競馬を見ていたくらいで、競馬の知識は特にありませんでした」
「元々アスリートだったので、騎手学校の体力テストは難なく突破できました。ただ、ビアースリバーの乗馬クラブで開かれた『体験キャンプ』で生の馬を初めて見たときは、流石に腰が引けましたね」

彼は笑みを浮かべながら、初めて馬に跨がったときの不安を振り返る。忘れもしないその出来事は、2017年のことだったという。
「17ハンドから18ハンド(172cmから182cm)ある、大柄な馬に乗りました。運が悪かったというか、周りと比べても明らかに大きかったです」
「恐怖とは少し違いますが、それ以来慎重に騎手課程の訓練を受けるようになりました。でも、幸運なことに騎手の仕事にありつけました」
追い込み脚質の騎手人生
多くの騎手は13歳か14歳くらいには「フランキー・デットーリになりたい」と、将来設計を描いているだろう。しかし、チョンはそんなことはなかった。厩舎に初めて足を踏み入れたとき、年齢はすでに21歳だったのだ。
「騎手を志したのが遅く、乗馬の経験もありません。落ちこぼれだとは思っていました。ただ、その限界を分かっていたからこそ、数少ないチャンスを無駄にしないよう、一生懸命頑張ろうと思いました。18ヶ月の騎手課程を終えて、正式に見習い騎手になれたときは、努力が報われて本当に嬉しかったです」
振り返ってみると、騎手課程のトレーニングはよくできていたと彼は語る。騎手学校は彼らの背景、乗馬の機会が限られていること、そして時間は限られていることをきっちり把握しており、適切なメニューを用意してくれた。
「訓練内容は『ステップ・バイ・ステップ』で、厳格なルールやスケジュールに拘ることはありませんでした」
「生徒一人一人に合わせたメニューがあり、それをクリアすると、また次のトレーニングが用意されます。最初は乗馬も不慣れだった自分ですが、6年後には世界レベルの騎手と対等に戦うことができるようになりました。信じられなくないですか?1日1日が本当に充実していて、毎日が特訓でした。1分も無駄にしたくない時間でしたね」
晴れて見習い騎手になった2019年、研修としてオーストラリアのアデレードに派遣された。そこではトニー&カルヴァン・マカヴォイ厩舎や、ジョン・オコナー厩舎の下で働いた。

「香港を離れる前、バリアトライアル(実戦形式の調教)で乗った経験はたった4回でした」
「オーストラリアのその地域では、レースに騎手として騎乗するにはバリアトライアルに30回乗る必要がありました。しかし、残念ながら渡航直後にコロナ禍が到来し、競馬どころではなくなりました。当初の計画は行動制限が緩和されるまで遅れてしまい、競馬に乗れるまで1年以上かかりました」
「コロナ禍は移動ができず、ひたすら暇でした。サッカーチームでの団体生活には慣れていましたが、騎手は個人競技です。アデレードで過ごした日々は楽なものではありませんでしたが、現地の騎手にも助けてもらいました。情報共有をして、ストレスへの対処法や、健康管理の方法を学ぶことができました」
戦いの舞台は香港へ
異国での研修期間を終えたチャンは、香港競馬に帰ってきた。
香港デビューを控えた2022/2023シーズンの開幕前、彼はとある厩舎に弟子入りすることになった。彼の師匠はトニー・クルーズ、香港で育った地元騎手として史上最高の好成績を収めており、調教師としても頂点に上り詰めた、香港競馬を代表するレジェンドだ。
騎乗機会2日目、クワドラプルダブル(Quadruple Double)という馬で勝ったレースが香港での初勝利だった。デビューシーズンは31勝、好成績と言える内容で終えることができた。
「南オーストラリア州の競馬では70勝以上勝っていますが、香港に戻るときはどうしてもナーバスになりました。香港競馬はこれまでより遙かに競争相手の規模が大きく、レベルも高いですから」
「ここでのレース展開は流れが速い上、複雑です。ハッピーバレー競馬場の1650mの場合、スローペースになると誰かが好機と見て、道中で動き始めます。減量がある見習い騎手はレースで前に出る機会が多いので、ペースコントロールが鍵になります。速すぎても駄目、遅すぎても駄目、常に相手の動きに気を配る必要があります」
ザック・パートン騎手、ヒュー・ボウマン騎手、カリス・ティータン騎手、アンドレア・アッゼニ騎手、そしてホー騎手、数々の名手が集まる香港競馬での競争は激しいものがある。そこで学んだ彼は、急激な成長を見せた。
ある時、不注意騎乗で数日の騎乗停止処分を科された。騎乗停止と共に補修訓練を受けるよう言われたのだが、彼が指導を仰いだのはパートンだった。
「騎乗停止処分は辛いものがありますが、謙虚に反省し、優れた人の意見に耳を傾けるのが上達のコツだと思っています。ザック・パートンの指導を受けた後、彼がここまで成功している真の理由が理解できました。彼は自分の騎乗馬だけでなく、ライバルの脚質や末脚も全て把握しています。様々な状況で迅速に、そして正しく対処できるのも無理はありません」

そのパートンも、チャンのことは高く評価している。
「自分はアンガスの師匠ってほどではないですが、自宅に招いてレースの研究会を開いたことはあります。彼はまだ若手なので、たまにあるミスは許容範囲内です」
「競馬での騎乗は自信がまず必要で、その自信は知識から来ます。私はアンガスにそれを話しただけなので、彼の功績は私のおかげではありません。彼は勤勉で賢い騎手で、腕も日々上達しています。自分としても、彼の進歩は嬉しいですね」
現役チャンピオンからの指導に加えて、クルーズに弟子入りできたことにも感謝している。クルーズは騎手として活躍しただけでなく、2度のリーディング調教師を獲得し、サイレントウィットネスなどのG1馬を数多く育ててきた。
「香港に戻る前、配属先がトニーの厩舎だと聞いたとき、嬉しさと緊張感が入り交じっていました」
「名伯楽の下で学べるのは嬉しいことですが、厩舎スタッフ全員に等しく厳しいという噂を聞いたので、その点は緊張していました」
「本当に若手騎手に理解がある方で、良い馬でも躊躇なく乗せてくれました。恐らく、自分自身も香港で見習い騎手だった時代があるからかもしれません。師匠のサポートなしでは、ここまで勝つことはできませんでした。その恩があるので、トニーの馬で勝てたときは特に嬉しいです」

今後の展望
チャンは今、遅れたキャリアを取り戻すべく、辛抱強くも熱心に努力している。
20代後半ながら香港競馬では2シーズンしか経験していないこと、その穴を埋め合わせるような経験を求めている。しかし、将来の展望を聞けば、彼が謙虚かつ客観的な視点で物事を見ていることが分かる。
「私の師匠であるトニーは騎手として、海外で素晴らしい実績を残しています。私もいつかその足跡を辿って、日本やイギリスの異なる競馬文化を体験してみたいと思っています」
「しかし、現時点ではまだまだ騎乗スキルが未熟です。まだ準備不足なので、焦るべきタイミングではありません。来シーズンも香港で良い成績を残せるよう努力し、重賞レースでチャンスを貰ったり、勝つことができれば最高です」